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柚木麻子『けむたい後輩』

けむたい後輩

けむたい後輩

この人の作品のおもしろみというのは、登場人物たちのディスタンクシオン(差異化・卓越化)にあると思う。『終点のあの子』にしてもそうだったけれど、作品の舞台を小田急沿線や東急沿線、それも本作でいえば横浜山手に置いていること、その上学校という空間の中においていることは、この作品の基調と分かちがたく結び付いているように思える。

主人公のあこがれの「先輩」は、才能と権威ある親のもとに育ち、けれどもその親に見合うだけの才能が自身にはないことを理解して、いわば状況を逆手にとるかたちで前衛芸術家や異端の哲学者風のシニシズムのポーズをとることを習慣化してしまった人間。主人公の親友は、友人がそのメンバーであるところの富裕層社会にあって、自身が不相応な人間であることを認識しており、生まれ持った容姿と人一倍の努力によって上昇しようとしている人間で自らの立ち位置を自覚した努力家。そして主人公はといえば病弱で底抜けのお人好し、人間づきあいに不慣れな資産家の令嬢。

おもしろいのはこの主人公がお話の進行とともに大いに化けて、ノブレスオブリージュのことば通りに(現代風にしかるべき努力はしつつも)「天性の才能」をそこここで開花させつつ、神出鬼没に登場人物たちのあいだを行き来することで、彼らのこころを乱したり、励ましたりの活躍をするところ。そうして物語が展開していく過程で、「先輩」やその彼氏たちはこの作品において、いうなれば「ずるい方法」で卓越化を遂行した者たちとして弾劾されていくのである。


柚木麻子『終点のあの子』 - M12i.