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アラン・コルバン『人喰いの村』

人喰いの村

人喰いの村

ペリゴールの火刑事件に見られる〔事件について当事者と傍観者、そして為政者や都市民の示した〕特有の受容形態は、十九世紀中葉という時代をかつての虐殺事件から遠く離れたところへ運び去った流れの速さを、はっとするほどあざやかに感じさせる。それは感じやすい魂が出現して以来進行している、あの人類学的な変化を浮き彫りにしているのだ。〔・・・〕

自分がどっぷり浸されていた社会から否認されるまで、これらの農民たちは敵を拷問することによってしか、自分たちが抱いている政治に関する表象の特殊性や、不安の強烈さ、君主にたいする愛着の深さなどを口にする〔口にしたことを聴いてもらえる〕すべを知らなかったのだ。この口ごもり、この忘れられたアイデンティティ革命のわずかばかりの表現のうち、ただ残酷さだけがむきだしで、打ち寄せる感情の波の中に残ったのである。(212〜213ページ)

1970年8月16日、普仏戦争の戦況悪化が伝えられるなか、フランス中部ペリゴールの農村のはずれで開催された定期市。その会場で起きた青年貴族の虐殺事件についてさまざまな角度からの分析を試みる書。

不謹慎にも「共和国万歳!」と叫んだかどで有罪宣告を受け、「プロシア人」の「豚野郎」にふさわしい方法で殺された彼の死はわれわれに何を語っているのか。前半では事件の原因となった歴史的・社会的情勢が示され、しかるのちに事件の推移、そして最後にその事件に対する人びとの受容の仕方について分析がなされている。

虐殺、拷問、身体損壊。16世紀以来後退のはじまった供儀のシステムの諸要素は、宗教戦争のなかで頂点に達して、18世紀末の大革命において再演されたが、すでに衰退のただ中にあった。事件は、何事かを表明しまた遂行するための“感性”とそれにもとづく“行動”の相異なる組み合わせどうしを邂逅させ、それによってまた非常な恐怖と憤慨、茫然自失、失望といった人びとの反応を引き起こす。

アラン・コルバンの記述スタイルと、本書でとくに頻出する文化人類学的・社会学的なキーワードのために、若干読みづらいものになっているかも知れない。