M12i.

学術書・マンガ・アニメ・映画の消費活動とプログラミングについて

オースティン『エマ』

エマ (上) (ちくま文庫)

エマ (上) (ちくま文庫)

19世紀初頭のジェントリたち…とりわけその子女たちが抱いた野心、けん怠、不自由、無知、理性と誤認。オースティンの作品がおもしろいのはそこらへんのことを、キャラクター化してみせてくれること。

「エルトンさんの態度は、ある意味では、ナイトリーさんやウェストンさんより上かもしれないわ。エルトンさんの態度のほうが丁重だから、いいお手本になるわ。ウェストンさんの態度はあけっぴろげで、きびきびして、すこし無遠慮なところがあるわ。みんな彼のそういうところが好きだけど、それは彼がすごく陽気な人だからよ。でも、彼の態度は真似しないほうがいいわ。ナイトリーさんの態度は単刀直入で、断固として、人に命令するようなところがあるけど、やはり真似しないほうがいいわ。ナイトリーさんにはぴったり合っているし、あれほどの立派な容姿と、社会的地位があるから許されるけど、若い人が真似したら鼻持ちならないわ。でもエルトンさんの態度は、いいお手本として若い人にも勧められる。エルトンさんはとても明るくて、陽気で、親切で、丁重ですもの。最近とくに丁重になったような気がするわ。私かあなたに気に入られようという下心でもあるのかしら。それで急に丁重になったのかどうかわからないけど、彼の態度が前よりずっと丁重になったのは確かよ。何か目的があってそうしているのだとしたら、たぶん、あなたに気に入られたいからよ。このあいだ彼があなたのことをどう言っていたか、話したかしら?」(52-53ペ)

散策、ピクニック、ディナー、舞踏会…そういった「社交」を基調として描かれるジェントリの「優雅」な生活の合間には、農場経営にまつわる雑事や慈善訪問、地方行政に関わる職務への素っ気ない言及が登場する。

上級貴族階級と農民階級・商人階級の間にあって、牧師たちと隣り合う彼らは、土地資産の経営によって経済的な資本を、教養と「品の良い」振る舞いにより文化的な資本を、そして慈善と公共への奉仕によって社会関係資本を蓄積してきた人びと。

少なくともオースティンが描く世界において、登場人物たちの伝統や血筋への繰り返しの言及にもかかわらず、彼らの世界の境界線上での流動性の高さがそこここで仄めかされていて──まさにそうであればこそ、自分たちの正統性を主張せざるをえない人びととして呈示されているのも、読んでいて興味深い。