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M12i.

学術書・マンガ・アニメ・映画の消費活動とプログラミングについて

GHOST IN THE SHELL

GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊 [DVD]

GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊 [DVD]

何度も繰り返し観たり、しばらくぶりに観直したりというのは、それなりに収穫のあるものだと思った。前回観たのはたぶん10年前だけど、再度鑑賞して押井たち制作陣が草薙素子に語らせていたテーマのある部分について、今さらながらに理解ができたように思う。

核心部分は(もちろん)彼女がダイビングののち、船上でバトーと語らうシーンである。そこで彼女は彼女の、そして人間の社会的な身体について言及している。
すなわちヒトが“その人”であるということは、その人の個体としての身体とそこに宿るこころだけではなくて、その社会的な位置やそれに紐付く過去と未来(可能態の世界)、その相対的位置を決める人間関係や、想像力を拡張しもすれば制限しもする情報へのアクセス可能性・・・そういったものごとをひっくるめてなのであって、何か完全自律の高度に閉塞した個体のようなものがあるのではない、ということ。
したがって、アイデンティティをある程度の不変性を条件としたもの、あるいは不変の個体性そのものとして理解する限りにおいて、彼女が彼女自身でありつづけようとすれば現在の自身の地位/所属を捨てることは容易ではないこと。

この言及に対しては、すぐさま“コード2501”からの接触が行われ、遍在性を持ちながらソレとして識別される何者かの存在、そのようなアイデンティティの可能性が素子に対して示唆されることになる。
物語としてはこのあと彼女は“コード2501”により仄めかされた可能性についてより多くを知ろうと行動して、ついにはそれと融合した新たな意識態へと自身を変化させたところで幕を閉じる。

この物語は、人のアイデンティティに関する葛藤という一般的な問題としても読むことができるとは思うが、やはりまずは草薙素子というそのはじめのときから生身の身体を持たずに形成された意識態の不安と克服という特殊の問題として読むべきなのだろう思う。そしてそこに架空の人格構造についての成長物語を描いてみせる脚本執筆者のわざを見せつけられているような気がしている。