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川北稔『イギリス近現代史講義』

イギリス近代史講義 (講談社現代新書)

イギリス近代史講義 (講談社現代新書)

学部時代以来、イギリス関連の歴史本を手にとったことはほとんどなかった。何しろ専攻は社会学で、大陸ヨーロッパとちがってイギリスでは「社会学」という分野自体存在するのかあやしいくらいだという話を聞いていたので余計である。したがってこの王国に関する歴史書で読んだことがあるものといったら、E・ホブズボームの古典『創られた伝統』のほかは19世紀英国教会とプロテスタント諸教派の伝道事業に関する論文の1・2だけだったりする。

そうだったのだが、このかんE・サイード→V・ウルフ→J・オースティンという読書歴のなかでここに辿り着いた。このブログ上でもすでに何度もとりあげているオースティンの著作に描かれているジェントリたちの生活世界──制度的には平民であるが貴族たちとともに上流階級を構成する彼らは商人や軍人や農民たちに対して日常生活の中で自分たちの伝統・卓越性を強調し再確認せずにいられない──が印象的で、彼らや彼らの周囲の人びとの来歴・行く末が気になった。

Amazonで歴史本を探しだして気がついたのは、和書のなかでイギリスに関する歴史書がフランスに関するものと比べると少ないようなのと、ウォーラステインの議論に関連するかそれを前提とした書物が多いこと。量についてはフランスはやはりアナール学派の邦訳が盛んで、そこらへんで差がついている感もある。ウォーラステインが頻出するのはイギリス近世・近代史が大英帝国の歴史であることを考えれば当然なのかもしれない。

本書の著者も世界システム論を基調とした分析を展開しており、政治的・経済的・軍事的に相対的に順序付けられ分業体制に組み込まれた各地域と、その地域間でのヒトとモノの流れに注目する観点というのがそこここで見える。ブルデュー社会学アナール学派歴史学、それにオースティンの著作でも、視点はもっとミクロで密度の高いものとなる傾向が強く、ある都市や地域社会のなかの各集団の振る舞いや「センス」に関する問題に焦点が当たる一方で、(当然のことながら)帝国の版図を見据えた視点はなかなか取られないので、新鮮ではあった。

しかし本書の中で繰り返しあらわれる「なぜX年時点でX革命が起きたのか」「なぜX国ではXが発展したのにイギリスではそうでないのか」といった問いの建て方──つまりは「決定的な契機」「本質的な要因」を見つけ出して過去と現在を説明しようとする視点にはやはり違和感を感じた。本書や本書で紹介される他の議論に通底する傾向──好むと好まざるとにかかわらず「衰退論」のような半・政治的な議論に隣接しているために、「現在」を説明する「決め手」をマクロな視点から探ろうとせざるをえない歴史観に対する違和感だと思う。

とはいえ、それは結局アナール学派のテキストを読み慣れているからという面もたぶんにあるように感じるので、もう少し何冊か読んでみよう・・・。