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愛、アムール(監督:ミヒャエル・ハネケ)

トレーラーのセリフってどうしてこういつも“はずした”ものが挿入されるんだとろうかと思った作品。「人生は、かくも長く、すばらしい」ってそんなさわやかな映画じゃないよもちろん、という・・・。シューベルト即興曲が耳に残る美しい映画だった。

病を患い衰えゆく最愛の人。戸惑いつつも自宅で介護しながら彼女に尽くす夫。人間の、あの文化的で自立/自律した、心身を完全に統制下におく個人という表象に基づくアイデンティティ。それを日々に失いつつあることに深く、とても深く傷つくこころ。長年連れ添った周囲の人びともまた少なからず戸惑い失意を味わう。

死すべき定めの人間が長生きをした末に出会うのは、もはや自分では何もできない、自らの身体すら制御できない赤子のような自身の姿。畢竟生まれたときの姿に戻っただけとはいえ、社会化された人間が末期に経験するそれには底なしの絶望がともなう。「“愛”はこの最期のときにあってすべてを失う体験と不可分なのだ」そう語りかけているのかも知れない。

静寂に包まれた室内。かつては音のあった空間。記憶の中にしかない姿。ピアノの旋律は消え、耳に入るのはうわごとと苦鳴。青白い光に照らされ、体温を失っていく空気は、そこに生きた人間たちの社会的な身体そのものである。

終盤に次々と大写しにされる油彩の風景は、“答え”を求めるジョルジュの苦悩の時間を表すものだろうか。彼らが長年を過ごしたアパルトマンはアンヌのための霊廟となり、仕事をやり遂げたジョルジュはそこを去る・・・。