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中屋敷均『生命のからくり』

生命のからくり (講談社現代新書)

生命のからくり (講談社現代新書)

『ウイルスは生きている』からの流れでもう1冊読んでみました。科学史や最新学説の解説ではなくしばしばやや哲学的に「生命とは何なのか」「生命に特徴的なこととは何か」を考えることが本書のテーマです。

読んでいて印象に残ったのは2点。まず1点目は「化学進化説」を前提とし、無機物と有機物、ウイルスと細胞を持つ生物、「独立」して生きる生物とそうでないものとの間に、本質的な線引きなど不可能であること、また「進化」というのが能動的な過程などではなく「淘汰」と「偶然」の積み重ねによる結果論でしかないことを強調する筆者にとっても、生命の「進化」の過程の記述は目的論的なものとならざるをえないことです。「生命」を論じるときに独特のこのバイアス──「生命」について論じるコンテキストでありさえすれば仮にそれがDNAやRNAといった分子のスケールの実体であっても「戦術」や「戦略」を練る主体となりうるというこのバイアス──は、どうも私たちの思考、私たちの意識というもののある限界を示しているような気がしてきます。

もう2点目は第5章で展開されている「生物」と「非生物」の再定義の試みです。このなかで筆者は生物の特徴をその双方向の作用力(相補性)にあるとしています。非生物(例えば鉱物)も結晶化や触媒作用などで他の物質に影響を与えその構造を変化させたりすることはできる。けれども生物(その最小単位は著者の考えではヌクレオチド)ではその作用が双方向である、と。

すなわちヌクレオチド(DNA・RNAなど)はその化学的構造ゆえに自身の複製を生じさせ、そこからアミノ酸を、さらに自身の複製過程に影響するタンパク質をも生ぜしめる。タンパク質はその他の分子とともに細胞の構造材ともなる。細胞生物は互いに飲み込み飲み込まれて、あるいはオルガネラになりはて、あるいは寄生生物に踏みとどまり、何にせよより構造化された状態をとるようになる。細胞と細胞は互いにくっつき合い、分化しあって多細胞生物を生み出す。さらにそれら生物同士は生態系を構成して互いの「淘汰」や「偶然」に作用し合う。そして人間に顕著なように、生物は自身の外側に、個体と個体のその「あいだ」にあるる生物・非生物に作用して何がしかのもの──単なる道具のような具象的なものから文化や制度そして科学(!)のような抽象的なものまで──を生じさせ、それがまた自身のあり方に影響を与える・・・。

ようするに「構造化する構造」、構造化する主体であると同時の客体でもある構造、自己の状態をもとに自己をも含む外部の状態に影響を及ぼし、そこからまた影響を受けるという、再帰的・反射的なはたらきをするオートマトンのイメージです。このイメージの中ではもはやどこまでが「独立」した個体だとか、どこまでが「生物」だとか、そういった議論は意味をなさない。ただ全体としての構造化の運動があるだけです。

まあちょっと概念遊び的な感じもしますが、ヌクレオチドという生化学的な実体からはじめて社会・文化という人文科学的な実体にまでつながるのはちょっと気持ちいいものです。