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V・ウルフ『灯台へ』

灯台へ (岩波文庫)

灯台へ (岩波文庫)

E・サイード『知識人とは何か』(知識人の表象論)→ウルフ『私だけの部屋』(女流文学論そして女性論)→オースティン『自負と偏見』ほか(近現代英国の女流文学)・・・という流れの先で手に取ることになったもの。

「夫人は・・・」「ラムジー氏は・・・」「でも・・・ではないかしら」と章節を分かたず、時として段落すら改めずに、次々と主人公たちの思考描写が切り替わっていく叙述形式は、ある「現実」、ある日常の些細な「一場面」も、思考する「私」の数だけのバリエーションを持つのだということを際立たせるようで面白い。

海辺の別荘やその庭先で、すこし離れた散歩道で、遠く離れた沖合で、それぞれの視野のなかで語られる思いは、ラムジー氏と夫人が体現する前時代の人びとが体現する道徳や理想に対する違和感であったり反発・憤懣であったりするとともに、その背後に隠されていた深い愛着であったりもする。

前世代(その年齢にもかかわらずタンズリーはどちらかと言えばラムジー氏の世代に属する)との断絶は、第一次大戦とそれに前後する登場人物たちの死、無人となった別荘の荒廃の十年間などをもって強調されることで、個人的次元を超えた性質のものとして再提示される。

物語の終盤に訪れる人びとの間の和解・共感のようなものを、ウルフ自身は彼女自身の生活の中で手に入れることができたのだろうか・・・?