M12i.

学術書・マンガ・アニメ・映画の消費活動とプログラミングについて

トランセンデンス

人工知能研究が進んで、ヒトの意識の転写ができる(かも)という状態に至った世界が舞台の物語です。

「知能」の定義にもよるわけですが、劇中のそれはサルやヒトの脳内電気信号を転写してそれっぽく機能させることができるというものですから、デカルトが発見した「我」そのものです。つまり単に人間のプログラムしたことをなすのではなく、自分の意志=目的にしたがってことをなす主体です。

人間の神経系はおびただしい種類のI/O、内的な調整/フィードバック機構、ネットワーク型データベース、複数の原始的な判断回路と、その上に層をなすより新しい回路たちからなる高級なステートマシンにほかならないわけで、私たちの日々の行動の起点としている意志=目的もハビトゥスも、別の素材を使って人工的に一からつくりあげることも理論的にはできそうです。もちろんその人工知能は、基盤となるI/Oの種類も、必要となる調整/フィードバックも、データベースの構造も、判断回路も、そのレイヤ数も、すべてがヒトとは異なるわけでそっくりそのままというよりは別種類の自律的な主体です。

ともあれ脳神経医療の研究でもあるような人工知能研究のなかで生まれた人工知能ですから、その上にヒトの意識の転写もできるだろうということになり(それにはステートマシンのコンポーネント同士を相互に対応付けるため相当な数のマッピング/コンバージョン情報が必要そうですが…)、その仮定を実行してみたらこうなった、という話です。

そういう話なのですが、終盤には「やっぱり人間と機械はちがうんだ、機械は人間の命令を忠実に実行するだけなんだ」という昔ながらの予断の表明とも問題のすり替えともとれる結論に主要人物たちが到達しているところは残念な感じでした。。