M12i.

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VS for Mac正式版インストーラを実行したらXamarin 6.3がインストールされた。。

この程正式版リリースとなったVisual Studio for Macですが、さっそくそのインストーラをダウンロードし実行してみたらXamarin Studio 6.3がインストールされました。。もちろんVisual Studio for MacはXamarin Studioをベースにしています。そうはいってもXamarin Studio 6.3とVisual Studio for Macはあくまでも別物です。というかXamarin Studio 7.0=Visual Studio for Macということのようです。

今回の手順は以下の通り:

  1. Uninstall Xamarin Studioの手順にしたがいXamarin Studioのアンインストールを実施*1
  2. Visual Studio for Mac公式サイトから"Visual Studio Installer.dmg"をダウンロード
  3. 上記インストーラを実行してインストールを実施
  4. ウィザードの"何をインストールしますか?"の表示内容を確認しつつ以降すべてデフォルトのまま先に進む*2

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数時間後、インストール完了の画面が表示されたので、画面下部の"Visual Studio の開始"をクリックしてみました。

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すると、あーら不思議、以下のようにXamarin Studio 6.3が起動しました。。

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気を取り直して以下の手順でリトライします。6.3のアンインストールは行っていません。

  1. macOSを再起動(意味はなさそう、でもまあとりあえず)
  2. "Visual Studio Installer.dmg"を使ってインストーラをもう一度起動
  3. ウィザードの"何をインストールしますか?"の表示が若干変化していることを確認しつつ淡々と先に進む*3

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数十分後、インストール完了の画面が表示されたので、画面下部の"Visual Studio の開始"をクリックしてみました。すると、今度こそVisual Studio for Macが起動しました。やったね!(?)

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公式サイトには「使い慣れた IDEMac でも利用できるようになりました。」などとあってネーミングも"Visual Studio"ですが「ようするにXamarin Studioのメジャー・バージョンアップでしょ?」と構えていたらバージョンアップすらしていない"Xamarin Studio"がインストールされてしまったという、ヘンテコな事象でした。

*1:途中、この記事に提示されたコマンドのままでは権限不足エラーになってしまうものがありました。それらについては先頭にsudoを付けて実行し直しました。

*2:このときVisual Studio for Macのラベルの左側に"○"印が表示されているのと、右側にバージョン番号として"6.3"と表示されているのが気になるところです。

*3:Visual Studio for Macのラベルの左側に今度は見慣れたアイコンが表示されていますし、右側にバージョン番号として"7.0.0"と表示されています。

『パーソナル・ショッパー』を観に久々の映画館


映画『パーソナル・ショッパー』予告

『パーソナル・ショッパー』を観に久々の映画館に行ってきました。

公式サイトの「映画情報」の解説に惑わされてはいけません。「『今の自分より恵まれた別人になってみたい』という欲望」の話でも、「女性なら一度は憧れる豪華なショッピング」の話でもありません。これはわざとなのでしょうか。まさか「うまい紹介方法が見つからなかったので」ということはないと思いますが。

実際のところは、生前兄が送ると約束した「メッセージ」を受け取ることを切望する霊媒体質の主人公が、セレブの買い物代行役としての生活を送るなかとある事件に巻き込まれ、その過程で霊的なものからの「メッセージ」と姿の見えない何者かからのSMSの「メッセージ」にこころかき乱されるお話です。

監督の意図についてはWIREDの記事で紹介されています。

実在の相手とつながっているのではありません。むしろ、メッセージをやりとりしている相手に、自分の空想を投影しているのです。

なるほどそうなのですが、一方でその「相手」は主人公に計り知ることのできない意図をもって周囲の人間に働きかける「実在の相手」であることも事実なのです。そして主人公が相手を「視て」いるのと同じように相手も主人公を「視て」いるのです。そのような中で主人公が陥る「こころかき乱される」状況そのものがこの映画のテーマの1つのようです。

それにしても、こういう解説なしに(例えば例の公式サイトの「映画情報」だけで)この映画を観てそのままにしておくとここらへんの意図を理解できる人はそう多くないのじゃないかと思います。。

住野よる『よるのばけもの』

よるのばけもの

よるのばけもの

どういうわけかある時から毎夜おぞましい姿の「ばけもの」に変身するようになってしまった少年の数週間の物語です。ふつうの中学生としての生活と、事実上無敵の「ばけもの」としての生活。陰湿ないじめが展開している昼の教室と、とくに不穏なあれこれはありつつも概ねは平穏の中にある夜の教室。あるいは主人公を安堵させつつも同時にどうしようもなく居づらくさせる保健室。そういう対称性が強調されつつも、実際はそれらのものが一つの「日常」を構成する部分々々でしかないこと。いじめは「異常」な実践ではなく、友情や恋心、進学や将来全般に関する不安、部活動への熱中や趣味への没頭といったものと同じ、それらとの間に分断などない「日常」の実践、私たちの生活を構成するふつうの慣習行動であり、そこにこそことの問題性があるということ。そういう告発の物語として私は受け取りました。