読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

M12i.

学術書・マンガ・アニメ・映画の消費活動とプログラミングについて

ペルソナ5が民主主義の哲学な件

ペルソナ5 - PS4

ペルソナ5 - PS4

たぶんどこかで誰かもこんなことを言っているんんじゃないかと思いつつ。。。このちょっとした感動を忘れないうちに書いておきます。

この秋に発売されたペルソナ・シリーズの最新作『ペルソナ5』のストーリーが民主主義の哲学すぎて面白いです。もちろんゲームとしてもふつうに面白いのですが、民主主義社会において私たち個人どう生きるべきか、みたいな哲学の表現としても面白いのです。

ストーリーの流れを追って説明します。といってもとても抽象的に。。

物語の序盤でとある理由から「ペルソナ」という異世界の能力を手に入れた主人公たちは、「怪盗団」を名乗って、報復や勧善懲悪の原則にしたがって自分たちの周囲の「悪者」──暴力教師、盗作芸術家、暴力団のトップ、ブラック企業の社長──をやっつけることに熱中します。そして当初はその存在すら怪しい「怪盗団」を相手にしなかったメディアやインターネット、その向こう側のオーディエンスもやがて、この強きをくじき弱きを助ける「ヒーロー」に熱狂していきます。

ところがこの熱狂は同時に「ヒーロー」に対して自分たちの鬱憤晴らしのためにアレもコレも一方的に要求するだけの、自分勝手な「おまかせ民主主義」であることがわかってくる。そしてある事件をきっかけにして、「世論」はいともたやすく転倒して「怪盗団」に対するバッシングに変化。それでも自分たちの正義を貫こうとした「怪盗団」の首魁・主人公はラスボス戦のあと、警察に出頭せざるを得なくなります。

ラスボス戦までは、アニメやマンガ、そしてTVゲームで繰り返しくりかえし描かれてきた、ある人並みならぬ能力を備えた主人公である「私」が、架空の世界で困難を乗り越え敵を倒して、一方ではカタルシスを、また一方では周囲からの賞賛を得るという流れだったわけですが、その後で事態が決定的に変わってしまいます。

そして逮捕された主人公の釈放を実現するのは、ここまでの展開のなかで主人公が交流してきた「怪盗団」の仲間やその支援者たちの努力です。意気阻喪するような状況の中でも「ヒーロー」や「ペルソナ」(=ようするに武力)という安易な方法に頼らず、署名集めや有利な証人の協力確保、メディアへの働きかけなどの「世論」形成のための地道な活動です。

ポピュリスティックな思想と手段でもって「世直し」を企てる一味と、本質的には人任せで自分勝手な「白票」投票者のオーディエンスの熱狂からなる序盤〜中盤。対して、そんな「おまかせ民主主義」に裏切られた後、説明・説得によって自分たちの信条のために協力してくれる人をあつめて地道な努力で事態を打開しようとする主人公たちの「面倒くさい民主主義」のプロセスを描く終盤。

ゲーム制作者たちが意図しているのは明らかに、相も変わらぬ自民党の超長期政権や維新の党の躍進を支えているポピュリスティックな民主主義、わかりやすく演出された「敵」をバッサバッサと切り伏せて溜飲を下げさせてくれる「ヒーロー」を熱望する人びとへの批判です。

こういう「思想」があるゲームははじめてです。そして(自分自身は投票にもデモにもちっとも行かず署名活動にもほとんど協力していないのに)湯浅誠を読んだりもする人間としてはとてもおもしろい内容だったのです。