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恩田陸『蛇行する川のほとり』

蛇行する川のほとり (集英社文庫)

蛇行する川のほとり (集英社文庫)

とある高校の美術部員である少女・毬子と、その憧れの先輩二人──香澄と芳野を中心に語れる物語。香澄が住まう川の畔の古い屋敷「船着場のある家」に、毬子が演劇祭の舞台背景制作のための合宿に招待されるところから始まります。

起点は学校となっているものの、そしてまた学級や学年内での人間関係が仄めかされたりはするもののそれは純然たる背景で、舞台の中心は「船着場のある家」。その屋敷で過去に起こった事件をめぐって登場人物たちの思惑が交錯します。

主人公たちはそれぞれに互いに強く心惹かれあい愛おしく思いながらも、一方では暗に明に相手が自分とは異なる思惑でそこにあり、行動していること意識している。熱狂的なのに醒めています。

「・・・あたしはあえて否定しようとは思わなかった。あたしの気持ちを説明しても、信じてもらえるとは思わなかったからだ。・・・××には、あたしがどんなに彼女に感謝しているか、どんなに彼女を大事に思っているか、きっと一生わからないだろう。それでもあたしはちっとも構わない。彼女はあたしのそばにいてくれるし、今、あたしはこんなにも幸福で、世界を愛しているのだから。・・・」(345・346ペ)

──その登場人物の各々の自己完結をした精神世界の個別性(主観性)というものを強く印象づけるように、物語の進行とともに語り手はみたび強引に交代させられます。

本作の中で語り手の役割はどちらかと言えば加害者・被害者の側でなく探偵役。「事件の謎」をめぐり語り手のその「当事者」性が徐々に高まっていきある臨界点を迎えるとそこで交代です。そうして「第三者」的視点が導入されていく。それによってその都度個別性の壁を超越して「真相」に近づいていくかに見えるのですが・・・。