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V・ウルフ『ダロウェイ夫人』

ダロウェイ夫人 (集英社文庫)

ダロウェイ夫人 (集英社文庫)

第1次世界大戦後のロンドン、ウェストミンスターを舞台に、下院議員ダロウェイ氏の夫人クラリッサを中心に描かれるある1日──と、そこに凝縮された数十年間の物語。

例によって、登場人物たちのモノローグの断章を編み上げるウルフ独特の形式で、クラリッサやその夫のリチャード・ダロウェイ、かつての恋人ピーター・ウォルシュやサリー・シートン、友人のウィットブレッド、パーティの賓客の精神科医とその患者でシェルショックを患うセプティマス・ウォレン・スミス・・・などなどの人生の交差が描かれる。

『灯台へ』と異なる点の1つは、登場人物たちに作家の分身としての性格があきらかな人びとがいること。主人公クラリッサが自分と自分の周囲の人びとを理解する方法(ウェーバーが言うような意味で)は作家が物語を構成する方法に、サリーや他の女性との恋愛関係は彼女の私生活に、それぞれ通じている。シェルショックに苛まれ、「人間性」の重荷に逆らおうとするセプティマスはそのモノローグとその行動とによって、ウルフのこころを代弁しているようである。

もう1つは、クラリッサが示す間主観主義的な認識論(当時興隆しつつあった社会学や社会史を想起させる)、セプティマスを追い詰めるホームズやブラドショー(同じく精神分析と心理学のそれを想起させる)、ピーター・ウォルシュにとってのインドやレディ・ブルートンにとってのカナダ(それらは帝国とその臣民にとって成功の機会であると同時に挫折の経験である)、ウェストミンスター寺院の無名戦士の墓(それは世界大戦と国民国家の象徴)、夏時間のロンドン・・・などなど物語の中で言及される事項がこれもかなり明白に当時のイギリス社会を表象している(そう思われる)こと。

どちらがより良いということでもないけど。雲の流れや陽の光の加減、草花や建物や乗り物の色彩についての描写の妙も相変わらず。決して読みやすい文章ではないけれど、美しい。