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アスガー・ファルハディ監督『ある過去の行方』


『ある過去の行方』予告編 - YouTube

「過去」は、過去の因果は、個人個人の行為の連鎖を媒介にして、思いもかけず現在に姿を見せるものだ。そしてまた、「イラン人」とは、今でもそのような「過去」を背負って、「過去」に左右されて生きる人びとの中の一例なのだ。・・・という感じかな。

物語の終盤でマリー=アンヌとサミールが「もう過去の話はたくさんだ」というとき、その「過去」の連鎖のはじまりとして、アーマドの背負った「過去」が仄めかされている。そしてそれそのものについては語りを封じてしまうことで、その「過去」にもまたその独自の理由=「過去」があるのだと言わんとしているようである*1

*1:「……とまあ、観る者に意味ありげな「解釈」を迫る──とりわけ前衛は『君たちにはこれが解釈できると信じていいんだろうね?』〔君たちはわれわれの作品の消費者たりうる資格を持つのか?〕と批評家連中に反語表現で迫る──それが『芸術』ってものなのではなかろーか。」感想を書きながらそのようなことを感じていた。