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牧原憲夫『客分と国民のあいだ―近代民衆の政治意識』

本書を読みながら、「問題は、『国民』と『客分』とは、ほんとうに対立概念なのか、ということだ」と感じた。人びとの「客分」的な政治への関与の仕方の「近世的な形態」が、明治中期に中央の政治空間から消滅したのは事実だであるとして、それはほんとうに「客分」意識の死であり「国民」意識の誕生といえるのか。

もっともこのように言う時、「国民」とはなにかの定義こそが問題なのかもしれない。念頭にあるうちの一つの定義は、B・アンダーソンのいう想像の共同体としての「国民」であり、この場合政治参加云々よりアイデンティティのありかこそが重要になる。また一つの定義は、湯浅誠が述べているような意味の、組織され/組織する政治的主体としての「国民」だけど、こちらはかなりアイデアルなものになる…。前者は19世紀末~20世紀初頭に確かに達成されたといえよう。後者は現在においても達成されていない。

ともあれ、本書の中で示される人びと(民衆)の行動様式は興味深いものだった。明治中期以前の、「仁政」「徳政」を期待し夢想するだけでなく、脅迫や実力行使を駆使して、自らの行動を以って獲得していこうとする人びとの姿というのは、難しいことはさておき非常に主体的なものであることは明らかである。それは結局のところ村や町の単位で多数者の信じるところの「ものの道理」(droit・right)を為政者や富裕の者に対して強制するものであって、それが歴史的もしくは今日の人権概念からして正当なものかどうかは別であるけれど。