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M12i.

学術書・マンガ・アニメ・映画の消費活動とプログラミングについて

アンナ・カレーニナ(監督:ジョー・ライト)

トルストイの著作として知ってはいたけれど、『復活』だけで満足して今日まで読んでいなかった。それがどうして映画館に足を運んだのかよく分からないけれど・・・。まあともかく期待以上に面白かった。

序盤は演出。劇場舞台と観客席、舞台裏、キャットウォーク、屋根裏部屋を歩き回る登場人物たち、目まぐるしく入れ替わる場面と大道具の数々、様式化されたエキストラの動きで、とにかく魅せる。とても凝っている。ミュージカルを意識しているのだろう。

中盤は対称関係。モスクワとペテルブルク、田舎と社交界、武官と文官、勇ましさと品の良さ。すなわち、繁栄を競い合う2つの都市、『感情教育』ではフレデリックが往き来したあの2つの生活、男性社交界を2つに分かつ職業カテゴリと、そのそれぞれで称揚される価値基準。それら対称関係と二重写しにされる主人公たちの愛憎劇。2人のアレクセイは相異なる愛情のあり方を象徴する。鮮やかな対称。カレーニンの競馬をめぐるセリフにははっとさせられる。

そして、終盤は寛大さと慈悲深さの模索。アンナとヴロンスキーの罪。それを赦そうとしてもしきれないカレーニンの愛。傷ついた魂を迎え入れて癒やそうとする優しさ。許容限界。拒絶。中盤での象徴的で社会学的な往復運動は、ここに来て道徳的・哲学的なそれに変化している。

トレーラーには「一生に一度だけ許される至福の愛」なんて文句が出てくるけど、そういう話じゃない。というか正反対で、それは許されざる愛、最終的に僅かばかりの例外を除いてほとんど全面的に拒否された男女関係。でもその愛憎劇もどちらかというとこの作品のより深いところにあるテーマ(題材)のための一素材といった感がある。

どこまでがトルストイの技巧によるもので、またどこからが映画監督・脚本家たちの仕事なのか・・・。気になるので、そのうち原作も読もうと思う。